「日本の義務教育では学べない領域にこそ新しい可能性があるはず!」そんな思いで日本を飛び出し、アート教育先進国のオランダの大学でアート・メディア・社会学を専攻し、日々学びを積む中で学びの場としてのアートの可能性を身をもって感じました。そして、オランダのアート教育の形式を取り入れることで、日本における学びをよりよくすることができるのではないかと思い活動をはじめました。

アートを定義することは非常に困難ですが、ここでは想像力・アイデアを形にして表現したもの(作品など)とそれを想像力をもって解釈する人、また、そのもの同士を文脈に置き新たな視点を加える美術館などの関わり、過程をすべてふくめてアートと呼びたいと思います。

近年、私たちには人工知能に代えられない「人間らしさ」が求められ、不確かな未来を前にみえない未来を想像し、自ら描き出して(具現化して)いく力が必要不可欠です。また、自らの未来だけでなく、社会・世界にも想像力と創造力をもって解決策や可能性を導いていかなければならない課題がたくさんあります。

そんな中で作品の数だけ世界があり、解釈の数だけ正解のあるアート、は一人ひとりが主体的に自由に学べる環境を実現できると考えます。自分が何を感じ、どんなメッセージを受け取り、時代や場所、文化を超えた多様な考え方に触れ、他人と意見を交わすことで、共感や反対をし、そこからどんな視点が生まれるのか、この過程の中に自分の興味・価値観・可能性などに関する新たな発見や学びがあると信じています。このような自由な学びはテストで数値化されるものではないですが、新たな自分に気付き、個性を伸ばし、自分自身や社会の未来を創造する上でとても重要であると考えます。

しかしながら、今日の日本のアートに対する認識は「単なる娯楽」「受験に役立たない学び」「歴史の知識がないと理解できない」といったものが多いと私は体感的に感じています。歴史や作者の意図などはより深いアート体験に我々を導いてくれますが、それらはあくまでひとつの解釈にすぎず、作者の意図や歴史的事実を絶対的な「正解」とはしません。そこで自由な学びの場としてのアートの認知度を上げる必要があります。

自由な学びの場としてのアートの認識は近年世界で広がっており、以前は一方的な教育を行うことを中心としていた博物館や美術館も様々な背景を持つ人々が自分なりに解釈をし、発見をし、学べる場を目指し始めています。さらに、実際に社会に新たな価値観やアイデアを持ち込む政治的・社会的な手段としてのアート(アーティビズム)も近年増加しており、アートの影響力がさらに注目されています。これは今を生きる私たちにとって絶好の機会であると思います。

アートの学びの場としての可能性に気づくことで共に学ぶことの重要さを体感し、私たちの日常にあるものをみる目が変わり、日々が学びに溢れると信じています。また、学生の時期に想像力を鍛えることで今後の進路や人生そのもの(未来に描き出すもの) が変わってくるのではないでしょうか。現在、大学2回生の私自身もまだ将来の可能性を模索している段階ではありますが、だからこそ、先生や生徒といった上下の関係ではなく同じ目線で共に学び合う環境をつくれると思っています。また、オンラインで誰もが無料でアクセスできる場で共に学ぶことで未来を変えるような出会いの可能性をも生まれます。そして、アートに学ぶためにはアーティストの方々の存在が欠かせません。そのためにアーティストの方々の協力も得て「なぜアートが単なる娯楽ではなく私たちの学び、生活を豊かにする重要なものであるのか」に気付けるようなきっかけをつくっていきたいと思います。

Wakana